JCGR 日本コーポレートガバナンス研究所

ブログ

第11回 コーポレートガバナンス勉強会「中国・韓国のコーポレートガバナンス改革:Q&A]

中国および韓国におけるコーポレートガバナンスの背景

1.中国の場合

 コーポレートガバナンス問題の本質は、私有財産制度の下、所有者の支配と実際の経営とが分離された状況で生ずる所有者と経営者の利害対立をどのように解消し、所有者の支配を確立するかというところにある。中国は、1949年の社会主義国家の建国時においては、社会主義を実現すべく企業の国有・国営を目指した。数百万とも言われる前体制下の民有・民営企業(民族資産と呼ばれた)をそのまま認め、段階的に公私合営企業に改組する政策がとられた。1956年頃から、私営企業や公私合営企業に対し「社会主義改造」を実施、ほとんどを国営企業に改組した(私営企業も一部は残存)。

 1984年に社会主義市場体制の導入が実施され、さらに1993年、社会主義体制から社会主義市場体制に移行することが宣言され、それを実現するために1994年に会社法が制定された。これにより、国営企業のほとんどが国有企業と改称され株式会社として現存している。そこでは、組織図上は株式会社に相応しい企業内組織が敷かれた。

中国は依然として社会主義体制であり、企業の公有制(国・自治体の所有)が大前提であったので、2003年には「株式制は公有制の主要形態」であるとする体制転換が宣言された。これは、世界の投資家に対して中国企業は世界に共通の株式会社制度を採用しているので安全な投資対象であることを示すためであったと言われている。このような、プロパガンダの下で中国株式会社のコーポレートガバナンスをグローバルスタンダードと軌を一にするためにコーポレートガバナンス改革が進められている。しかし、組織図はともかく、組織図のうえに誰が配置されるかがコーポレートガバナンスの重要問題である。勉強会では、21世紀に入ってからの中国の企業改革を追うことによりこの点に迫っていきたい。

2.韓国の場合

韓国経済は、1970年代以降、政府支配の銀行と政府誘導の財閥業のコラボで急成長した。しかし、ファミリーに支配されている財閥は深刻なガバナンス問題を内包していた。韓国のコーポレートガバナンス改革の課題は、経済発展を支えてきた財閥の改革であるといえる。

 資本市場が発達していなかった1970年代まで、企業の資本調達は銀行借り入れを中止とする間接金融に支えられていた。しかし、主要な産業銀行である都市銀行は政府所有であり、企業は政府の産業政策に沿った政策金融により低金利の融資を都市銀行から受け、政府の産業政策の実施を担ってきた。企業にとって、最大の資金供給源であった都市銀行は、融資決定を自らの審査に基づいて行うのではなく、政府の政策金融基準に合致するか否かが重視された。その意味で、都市銀行は政策金融の窓口的な役割しか果たすことができず、日本のように、メインバンクの企業モニター機能は作用しなかったと言われる。

1981年から都市銀行の民営化が始まったが、官治金融の伝統が守られており、 政府が経済政策遂行のために銀行業務を統制した。1980年代(以降も)、韓国政府は高度成長を志向した輸出・生産規模重視の優遇政策を採り、企業を政策金融や政府系銀行からの資金調達に依存するように監視・誘導し、政策の実現を図った。つまり、政策金融の供与をともなう5カ年計画や産業育成計画を立案し、輸出実績・生産実績を拡大させた企業を、金融面でより優遇するというインセンティブを付与することにより、国際競争力を向上し生産・輸出を拡大するよう企業を誘導した。このような政策的基盤の上に、政府指定の戦略部門に財閥が次つぎと参入した。拡大を誘発するインセンティブシステムであったので財閥の拡大志向が体質化し、結局は過剰投資・過剰多角化の罠に陥り、投資の失敗、効率の低下を招き、80年代後半のマイナス成長をもたらすことになった。まさに経営の失敗の帰結であるが、その根本的な原因は財閥の内部ガバナンスにあったと指摘されている。

韓国の財閥は数十の企業から構成される企業グループであり、韓国語ではチェボルと呼ばれる。なお、以下では日本流に財閥と呼ぶ。財閥においてはグループ会長(総帥)が絶対的な権限を有している。その職は、経営能力とは関係なく息子や親族(特殊関係人)によって継承されて行く。ここで重要なことは個々の企業の取締役は商法に基づいた職責であるが、グループ会長は会社の任意の職責で商法の規定にはない。商法上は何ら責任を負わないのである。

1970年代からの重化学工業化と共に、上位財閥が傘下企業を増やしグループ組織を拡張させてきたが、それらにおいては頂点に立つグループ会長が意思決定を行ってきた。グループ企業の重要な人事・新規事業・投資案件・長期案件などはグループ会長直属の会長秘書室で立案され、個別企業の取締役会・代表取締役の権限と責任は軽視されていた。まさにグループ会長への権限集中である。この韓国独特のトップダウンの組織形態は、後発国のキャッチアップ段階では迅速な意思決定に基づく新規事業の確立という役割を果たしうる。しかし、他方で、宿命的に内部のチェック機能が不全という問題を内包せざるを得ない。政府に誘導された借金志向の経営は、グループ会長主導の意思決定において大きな判断ミスを招いた。帰結として1980年代以降、財閥の経営失敗や経営交代が頻発した。財閥は、事業会社では過剰投資・過剰多角化、金融部門では不良債権が累積し、1997年10月起亜自動車の倒産を皮切りに経済状態が急速に悪化し、タイなどと並んでアジアの通貨危機を招いた。韓国のコーポレートガバナンス改革はこれを契機に動き出すことになった。

Q&Aおよびディスカッション(松浦さん、三井さんいつもありがとうございます)

<中国企業をめぐって>

Q01:中国の外国企業との合弁企業設立の目的は外国の技術を獲得することが目的と言われていますが如何ですか。

A01:確かにそのような事が有るので、コア技術はブラックボックスにして置くことが肝要と思う。(参加者)

A01-1:1978年、鄧小平が改革開放路線を唱え市場経済導入と門戸開放を進めた。門戸開放は、表向きは資本輸入であったが、同時に技術輸入でもあったと言われる。(若杉)

Q02:「国有」、「国有」と言うけれど、地方政府の出資・所有もあるので、きちんと定義しないと紛らわしいのではないか。

A02:その通りである。正確には「公有制」である。時代とともに公有の中身が整理されてくるが、戦略的な産業の重要企業は文字通り「国有」であり、そのガバナンスは国務院の国資委が掌握している。(若杉)

Q02-1:中国の国有企業は民有にはならないのか。

A02-1:時々精査して、戦略上重要でないものは共有にしたり民有にしたりしている。(若杉)

Q02-2:国有の持株会社などがもっていて一見国有に見えないが実態は国有というのが多くないか?

Ao2-02:持株会社は国資でも、子会社は上場している場合が沢山あると思う。(若杉)

Q02-3:日本企業が進出しても、昔は合弁企業しか認めなかったが今はどうか。

A02-3:現在はいくつかの形態があると。次の記事を参照されたい。独資とよばれる外資100%の資本形態もあるとのことである。https://gentosha-go.com/articles/-/12054

Q03:なぜ、中国企業がNY市場に上場出来ているのか疑問である。本当にSEC基準をクリアしているのか? 情報開示は十分か? カルパース等の投資責任を厳しく追及される年金基金等が中国企業の株式を購入しているのだろうか?

A03:機関投資家の中には、日本より中国の方がコーポレートガバナンスは進んでいると評価してところもあり、実質基準より形式基準で評課しているように感じている。(参加者)

A03-1:日本人は中国・韓国より日本の方がコーポレートガバナンスが進んでいると考えがちであるが、中国・韓国のコーポレートガバナンス改革は急進的であることを正しく評価する必要があると思う。(参加者)

A03-2:自分の経験では、利益の出ている中国との合弁企業の会計士の監査報告が74ページに及ぶ詳細な開示をしている会社もあれば、中国の取引先が業績の悪いグループ企業に資金を流出した結果として不良債権が発生した経験があり、同様のケースが日本との合弁企でも多く発生していることが公表されている。結局、中国企業は千差万別で、優良な企業が中国の飾り窓としてまた、外資導入のToolとしてSECの形式基準をクリアして上場しているのではないか。(参加者)

A03-3:ガバナンスの問題とは別の観点からトランプ大統領は中国企業をNYSEから排除しようとしている。以下はロイターのニュースメール(2019/10/04)の一部である。
https://jp.reuters.com/article/usa-trade-nyse-idJPKBN1WJ03E

「市場では先週金曜、複数の関係者の話として、トランプ米政権が米国の証券取引所に上場している中国株の上場廃止を検討しているとの報道が伝わった。米国から中国企業への投資を制限するための方策の一環で、中国企業の動きに安全保障上の懸念を強めていることが背景。ナバロ大統領補佐官は報道を否定。ロイターを含む複数の報道機関も「フェイクニュース(うその報道)」と確認した。今年6月に米超党派議員グループは、上場している中国企業に対し、米当局による監督受け入れを義務付ける法案を議会に提出した。同法案が成立すれば、財務情報の開示が必要となり、要件を満たさない企業は上場廃止処分となる。(若杉)

Q04:ファーウエーは何処に上場しているのか?

A04:ファーウエーの株価を見たことがある。(若杉)・・・記憶を正すために調べ直したら、深圳市場にHuawei Culture Co Ltdが上場されている。たぶん子会社であろう。

A04-1:本件は後日ネット検索の結果以下の事が判明しました。(松浦)

「ファーウエーは上場しておらず、経営のスピードの維持・積極的なR&D投資・有能人材の確保を目指して非上場の道を選択。優秀な社員に株式を譲渡する方式を採用し  現在の社員持株会が98.9%、任正非CEOが1.1%の株式所有構成となっている。従業員は配当並びに退職時に保有株を社員持ち株会が引き取ることでリターンが得られる仕組みとなっている。」

<韓国企業をめぐって>

Q05:日本の戦前の財閥の資本形態はどうなっていたのか?

A05:時とともに変化したが最後はコンツェルンと呼ばれる純粋持株会社の形態をとった。連合軍司令部は、財閥が自らの利益のために戦争を進めたとの認識からから、持株会社禁止を日本政府に命じた。ネットの次の記事を参照されたい。http://www008.upp.so-net.ne.jp/yanapyon/2nd.htm かなり長文であるが、末尾に一節を引用した(若杉)

Q06:財閥解体はどのようになされたのか。持株の受け皿になったのは誰だったのか?

A06:三井財閥は解体され、約300社の会社に分散し、各社は元の役員・部長を中心とする経営陣と50名程度の従業員で構成され、資本金は役員・従業員の出資金で賄われたが、過小資本の状態であったところに外資規制が緩和され、外資による企業支配の危機感から、考案されたのが株式持合方式である。その後、分散した会社の中から、優良会社を中心に徐々に糾合し、現在の三井物産等が誕生している。(松浦)

A06-1:上のような従業員等の株式保有は証券民社化の名の下に進められたが、個人は貧しかったので、買い占め屋に売らざるを得なかった。買い占め屋はグリーンメーラーになり発行会社に高値で買い取らせたり、あるいは発行会社乗っ取ったりした。

A06-2:日本は戦争に負け、財閥解体が行われたが、万一その様なことが起きていなかったなら、現在の韓国で起きている財閥問題が日本でも起きていたのではないかと思われる。(参加者の意見)

Q07:韓国における架空出資とはどういうものか。

A07:A社、B社、C社の3社があるとする。最初にA社が銀行から借り入れを行い、その資金金でB社の増資を引き受ける。B社はその資金でC社の増資を引き受ける。C社は増資で得た資金でA社の増資を引き受ける。A社には最初の資金が戻ってくるので、それで銀行の借入金を返済する。この3社は循環的に持ち合いをしているわけで、資金は全く不要である。融資の場合も同じである。これらを架空出資とか循環融資という。財閥ファミリーが借入金でなく、自己資金をA社に投入して株式を保有し、A社がB社の株式を持つという具合にこの循環を何回でも繰り返せば、財閥ファミリーは少額の出資で3社を支配することが出来る。もちろん、実際に投入された資金は少額であるから、大きな事業は出来ない。しかし、循環出資で膨らませた自己資本で多額の資金を借り入れれば巨額を投じた事業を行うことが出来る。これが韓国における財閥支配のスキームである。

Q08:韓国の財閥が韓国経済に占めるウエートはどの程度か。

A08:以下のサイトによると経営成果評価サイトCEOスコアは、日米韓3カ国の昨年の売り上げ上位10社の年間売上額を調査している。その結果、韓国の売り上げ上位10社の年間売上額は6778億ドル(約75兆円)で、GDP(1兆5308億ドル)の44.3%を占めると伝えた。日本の上位10社の売り上げは1兆1997億ドルで、GDP(4兆8721億ドル)の24.6%。アメリカは2兆2944億ドルで、GDP(19兆3906億ドル)の11.8%だった。(若杉)https://news.goo.ne.jp/article/skorea/world/skorea-48285.html

意見:中国も最近のCGコード改訂ではじめて「党委員会」を設置することを奨励すると明文化された。これは進歩だと見られていて、明文化されれば、これから「党委員会」の役割や、役員人事への関わりなどが”議論”できる。また韓国では投資家の責任の強化に向けて努力していて、昨年はアシアナや大韓航空で取締役専任議案で投資家が反対の声を上げている。(三井)

【参考】日本の戦前の持株会社

持株会社の禁止という独占禁止法(以下、独禁法)第9条の規定は、戦前の「財閥」が財閥本社を持株会社として巨大なコンツェルンを形成し、巨大な経済力を集中して、日本の経済や社会に大きな影響力を持ちすぎたことの反省からきていた。この節では持株会社として戦前機能した財閥本社の役割と内容を中心に振り返ってみたい。
 財閥は戦前の日本経済において大きな支配力をもった企業集団であった。財閥は家族(同族)によって所有あるいは支配され、複数の産業に多角的に展開した企業群を持株会社によって統括するピラミッド型の組織であった。財閥といっても産業財閥や地方財閥など様々であるが、持株会社解禁論との関係で重要なのは総合財閥である。財閥がコンツェルン組織を形成したのは第一次世界大戦前後であるといわれ、1909年の三井合名の設立にはじまり1923年の鈴木合名の設立までブームのように続いた。財閥本社が株式会社の形態をとるようになったのは1930年代後半以降の戦時体制になってからである。例えば、三菱財閥の始まりは1867年の岩崎彌太郎による海運業であった。1893年に三菱合資会社が設立され、日清戦争あたりから諸事業の拡大が始まった。その後、「部」と呼ばれる事業部の発展を背景に、1917年、部を株式会社として独立させ自らは持株会社になり、コンツェルンを形成した。三菱財閥は内部事業を株式会社へ改組してゆくことで拡大していったわけであるが、その大きな理由は一事業の破綻を財閥本社に影響が及ばないようにするためであったとされる。また、法人税対策 (※4)であったともいわれている。こうしてコンツェルンを形成していき、財閥本社自体も1937年12月に三菱合資会社から株式会社三菱社へと組織替えをした。その後株式公開を経て、1943年2月に株式会社三菱本社となった。
 さて、ここで持株会社についての議論に話を戻したい。三菱合資会社が三菱財閥コンツェルンの持株会社になったのは1917年以降であるが、1937年5月の三菱地所株式会社を分離するまでは地所部として組織の内部に抱えていた。つまり1937年5月以前は事業持株会社、それ以降は純粋持株会社であった。地所部門三菱財閥全体で占める比重は相対的に小さかったし、すでに主要な事業部門は分離されていたので、三菱合資会社(三菱本社は)実質的な純粋持株会社であったといってよいだろう。このことは三井財閥でもいえる。三井財閥は途中三井合名会社が変則的に三井物産と合併した一時期を例外とすれば、現業部門として農林部門と不動産部門を財閥本社に抱えていた。前者が三井農林として、また後者が三井不動産として株式会社として分離されたのはそれぞれ1936年および1941年のことであった。いずれにせよ、三菱・三井両財閥においては、晩年まで財閥本社の中に比重の小さい事業部門を抱えつづけ、敗戦時までにはそれらが分離され純粋持株会社になったのである。
 しかし、住友財閥の場合は三菱・三井両財閥とはやや違った経緯をたどっている。個人経営だった住友総本店が住友合資会社へと改組されたのは1921年であった。住友の場合は住友合資会社の改組前に住友銀行や住友鋳鋼所などが株式会社として分離されていたが、改組後にはますます独立分離が進み住友合資会社は持株会社化し、住友財閥コンツェルンが形成されていった。住友合資会社の株式会社化(株式会社住友本社)は三菱・三井両財閥に先んじて行なわれ、1937年のことであった。住友財閥で特徴的なのは完全な事業持株会社であったことである。住友本社の主力の直営事業として林業所・8販売店・3鉱業所が残され、鉱業所が住友鉱業株式会社として分離したのが1944年、林業所および販売店が分離したのは戦後になってからであった(※5) 。つまり、住友財閥の本社は敗戦時まで組織形態的にも機能的にも「事業持株会社」として存在していたのである。また、総合財閥本社は多数の産業にまたがった企業を統括してきたが、1つの産業を基盤に関連子会社を多数傘下においた事業持株会社もうまれ、新興コンツェルンとして1930年代に注目を浴びた。そのころは特に重化学工業の発展が著しく、新興コンツェルン(※6)もここから起こることが多かった 。新興コンツェルンは親会社の「本業」を中心に形成された企業グループであり、親会社は事業持株会社として多くの子会社を傘下に抱えた。このころ、新興コンツェルン以外にも多くの子会社を傘下にもってグループを形成した企業もうまれ、「企業の企業グループ化」が進んだ。

                                  以 上

page top