JCGR 日本コーポレートガバナンス研究所

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2020 コーポレートガバナンス研究会 第9回「英米のコーポレートガバナンス改革」-その2 米国-

レクチャーでは時間の制約でアメリカのコーポレートガバナンス改革について触れることが出来ない。しかし、コーポレートガバナンスのベストプラクティスとしてNYSEのCorporate Governance Standardを紹介する過程で、現在の米国のコーポレートガバナンスの基本的な構造は示した。ここではそれに至るまでの米国の企業史とコーポレートガバナンスの変遷を示す。

米国、20世紀後半の経済とのコーポレートガバナンス

Ⅰ アメリカ型資本主義

1 自由主義と自己責任
・自由に経済活動を行う権利
・自由という権利の代償として自己責任(義務)
 -自分が蒔いた種は自分で刈り取る(結果責任を負う)
2 経済は民間に委ねる
・民間企業の努力で効率的で豊かな社会を実現
 -営利が人々が欲する財・サービスを充足する
3 自由競争・市場原理を尊重
 -多数の人の知恵(情報)が集約される市場が基本的に正しい
4 小さな政府
-政府の関与は最少にして企業の自由を確保
5 民間企業は株主の責任(リスク負担)で運営
 -株主のガバナンスのもと残余利益の追求(営利)
 -残余利益によるリスク負担の代償として株主のガバナンス

Ⅱ 第二次大戦後の繁栄が生んだ黄金の60年代

1. 1960年代とは

 米国では第二次大戦後の1950年代から60年代にかけて、大戦中に開発された多くの技術が民間に開放され、企業は活性化し経済が繁栄した。そのピークが1960年代の半ばであった。アメリカではGolden Sixties(黄金の60年代)と呼ばれてきた。大型の自家用車が普及し、各家庭は電化製品であふれた。文化面では、ハリウッド映画が全盛を極めポピュラーソングも任期を呼んだ。マリリン・モンローやエルビス・プレスリーはまさにこの時代の寵児である。連邦政府が州間高速道路網の構想を打ち出したのも1950年代である(Freewayと呼ばれるハイウエイ自体は自動車が普及した1920年代から建設が始まっていた)。自動車道路網が建設されたのもこの時代であった。州政府は税金で潤い州立大学を充実させた。その結果、ハーバード大学を始めとする東部の名門私立大学(アイビー・リーグ)ですら財政難に陥り、寄附と引き換えに、高度成長路線を走り始めた日本企業から多数のMBA生を受

 -株式市場の動き;Wall Street Rule
  ・「投資先企業の経営に関して不満があれば、その企業の株式を売却することで不満は解消される」という考え方
  ・米国で初めて登場したコーポレート・ガバナンス(企業統治)の方式 
⇨ 企業に対する投資家の評価を、株式市場の売買を通して間接的に経営者に伝えた

【参考】Ralph Nader氏の社会活動
 1934年レバノン系の移民の子としてコネティカットに生まれたネーダーは、弁護士として教育を受け、60年代から70年代にかけてアメリカの消費者運動の旗手として名を馳せた。1985年に発表した「Unsafe at Any Speed」でゼネラルモーターズの欠陥車を告発し、自動車業界に製造物責任を負わせる安全規制立法を成立させて、一躍有名になった。以後、数多くの消費者保護立法を成立させ、Occupational Safety and Health Administration (OSHA)やEnvironment Protection Agency (EPA), Consumer Product Safety Administrationなど政府規制機関の設置を促した。また、消費者運動の組織化にもつとめ、60年代後半に「ネーダー突撃隊」とよばれる企業告発グループをいくつもつくった。その後、二大政党制を批判し、第三の政党の確立を目指した。1996年、市民運動を基盤として「緑の党」から立候補したのを皮切りに、2008年まで毎回大統領選挙に立候補した。

2. 1960年代:第三次M&Aブームとコングロマリットそして多国籍企業

 1960年代になると繁栄がピークに達し、企業は成長機会を見つけるのに苦労するようになった。そこで行われたのが、自業種・異業種を問わずM&Aによる企業統合により企業を成長させる手法である。その結果誕生したのが、関係のない事業の集まりであるコングロマリットである。非効率な経営のせいで株価が本来価値より安い企業を買収し、その企業の経営改革により企業価値を創造する経営戦略である。その結果、1960年代は、1900年前後の水平的統合の第一次M&Aブーム、第一次大戦後の垂直的統合の第二次M&Aブームに続く、第三次M&Aブームの時代になった。水平的統合やす直的統合が進んでおりこれらを進めれば独禁法に触れるということで、異業種との統合に目を向けたのである。1960年代は、国内に目を向ければコングロマリット化の時代であったが、国外にビジネス機会を見いだす時代でもあった。「多国籍企業」はまさにこの時代を象徴する言葉であった。

3 1970年代:多国籍化が生んだ不正会計と監査委員会の設置

 1970年代は多難な時代であった。オイル・ショックとそれに続く不況の中、ニクソン大統領再選委員会への違法献金、ロッキード事件、ガルフオイル事件など多国籍企業による外国の政治家などへの贈賄・不正献金事件が発生。これら社会倫理・株主のリスクに関するガバナンス問題(経営者をコントロールできていない!)と同時に、投資家の観点からのガバナンス問題も問われ始めた。 経営者が株主・債権者を欺いていることを機関投資家が発見するようになったのである。さらに、ペン・セントラル鉄道の粉飾決算・倒産や、ロッキード社の経営危機に際して、粉飾決算やインサイダー取引が行われていたことが発覚し、その結果、社外取締役会の必要性に対する認識が高まった。

 多国籍企業は欧州にも進出したが、産業がより遅れているオリエントやアジアの方が収益機会としては優れていた。しかし、これらの地域は賄賂の世界でもあった。企業は賄賂の資金を創る必要があったが、先進国では当然、賄賂の勘定は認められていない。不正な会計で賄賂資金を捻出するしかなかった。1976年に明るみに出たロッキード社による世界的な大規模汚職事件もこの流れの一つである。日本でも全日空がこれに巻き込まれ、田中角栄元首相が逮捕されるなど政界が揺るがす大事件が起きた。企業の会計不祥事は、米国企業のガバナンスにも一石を投じ、SECの始動によりNYSEが企業に監査委員会の設置を要請することになった。これにより、企業はウォール・ストリート・ルールに加えて、企業の内部から社外取締役が加わる監査委員会の監視をうけることになった。

4 1980年代:コングロマリットの再編が引き金になった第四次M&Aブームのコーポレートガバナンスへの貢献

 コングロマリットは、新しい結合による企業価値の創造をもたたすものであったが、何年かするとその価値も出し切ってしまい、むしろ新たな非効率の源泉になってしまい、いったん買収した企業を売却せざるを得ないという事態を生んだ。クライスラーの経営破綻もその良い例である。しかし、この件は、政府が債務保証を与えたことから、なぜ民間企業の危機を政府が救うのかと世論を沸かした。1970年代から80年代にかけて、非効率になったコングロマリットをリシャッフル(再構成)するニーズを生み、再びM&Aが活発になり第四次M&Aブームがビジネス界を賑わすことになった。この過程でM&Aにからむインサイダー取引事件も頻発した。このブームの特徴は、インベストメントバンクがM&Aの仲介をビジネスとするようになり(それ以前は、ビジネスと言うよりむしろ顧客サービスであった)、自らの利益のためにM&Aの機会を創出し、大型M&A、敵対的TOB、LBOなど新たな範疇のM&Aを生み出した。敵対的M&Aの横行で、経営者は、自らの経営が株式市場を通して敵対的買収の危険にさらされていることを実感背せざるを得なくなり、敵対的M&Aは経営者に対する規律付けというガバナンス機能を果たした。一方で、敵対的買収を防ぐために、多くの企業でポイズン・ピル(毒薬条項)などの買収防衛策が採用されるようになった。これは、CEOが自己の利益のために、CEOの座にしがみつくことを許すもので、株主の利益を損なう可能性があった。そのことから、株主と経営陣の対立が明確になり、社外取締役の導入が促進された。いずれにせよ、M&Aをインベストメントバンクが主導するようになり、不健全な(経済・経営的な意味のない)M&Aを横行させることになった。世間も投資家もそれに気づき、M&Aブームは急速にしぼむことになった。繰り返しになるが、敵対的M&Aは経営者に規律を与え経営を改革させる刺激にもなり、コーポレートガバナンスの進展を促した。監査委員会の設置とともに入ってきた社外取締役は、TOBが仕掛けられることになった理由を考える過程で自社の経営を客観的に見る機会を与えられたことから、社外取締役と経営陣の対立を生み社外取締役の増加をもたらすことになり、少なからずコーポレートガバナンスの進展に貢献することになった。

5 1990年代:機関投資家と社外取締役
 1990年代に入ると第四次M&Aブームへの反省とグローバル市場からの圧力を受けてアメリカ企業のリストラが進んだ。企業は新しい環境に対応するために変わらなければならない。その時の合い言葉は、選択と集中、コアビジネスの強化であった。これを実行に移すために、再度、M&A活発化の機運が高まった。M&Aを推進するために、多くの企業で ポイズン・ピルを撤廃する株主総会決議がなされた。エイボンレター後、1990年代初頭には、GM、IBM、アメリカン・エキスプレスなどの大企業で、投資家の後押しを受けた社外取締役によってCEOが交代させられるという事件も起こった。1990年代のアメリカでは機関投資家と社外取締役の活動を通じたコーポレートガバナンス体制が整備されていった。。「社外取締役による取締役会のガバナンスガバナンス」と「CEOをトップとする執行役員のマネジメント」という分業と対峙の構図が顕著になり、経営者もそれを受け入れつつある。

6 企業年金の普及と株式市場

 あらためて時代を遡ると、第二次大戦後、軍事技術の民間への転用は、民間企業に新しい能力持つ人材に対するニーズを生んだ。企業は、新しい技術に追いつけない恒例の従業員に退職を促し、新しい技術を持つ若い世代を雇用するために企業年金を導入した。つまり、高齢者を退職させ、新人を採用し定着させるインセンティブとして利用されたのである。その後、1950年代には企業年金は広く普及することになった。企業年金というと、現在は、確定拠出企業年金と確定給付企業年金とが知られているが、初期の企業年金は確定給付年金であった。確定企業給付年金では、企業は従業員の在職中、サラリーの一定額分を掛け金として拠出し積み立て、それを運用して元利を退職後の年金給付の原資とする財政方式である。したがって、大企業の企業年金は多額の運用資金を保有しているので、機関投資家として強大な力を有している。ただし、ERISA(従業員退職所得保証法)により、リスクに見合った合理的かつ効率的がなされるよう企業年金の運用者には重い受託者責任が課されている。

上述のような経済環境の変遷の下、企業年金の資産運用も大きく変化してきた。1950年代から60年代にかけては、企業成長とともに活況な株式市場において、ウォール・ストリート・ルールとよばれる手法で株式を売買するのが一般的であった。

注)ウォール・ストリート・ルールとは『投資先企業の経営に関して不満があれば、その企業の株式を売却することで不満は解消される』という考え方。 米国で最初に誕生したコーポレート・ガバナンス(企業統治)の方式であり、投資家としての意見を、株式市場を通して間接的に経営者に伝えるということを意味する。(企業年金連合会「用語集」より)

7 企業年金のシェアホルダー・アクティビズム

 1974年のエリサ(Employee Retirement Income Security Act)成立以後は、当時確立された現代ポートフォリオ理論(MPT:Modern Portfolio Theory)に基づき分散ポートフォリオ(市場ポートフォリオ)を長期保有する投資戦略が普及し、インデクスファンドを持ち続ける資産運用が基本になっている。しかし、M&Aが盛んな1980年代はM&Aに便乗する運用も盛んに行われたと言われる。M&Aにおいては、企業を買収する側の株式より買収される側の株式の方が、値上がり益が大きいので、買収される株を見つけていち早く買うという手法である。しかし、バブル的M&Aブームが社会的批判を浴びるようになると、再び分散投資・長期保有に立ち戻ることになった。しかし、長期保有ということで売買を行わない場合、ウォール・ストリート・ルールのように投資家の意思を経営者に伝えることが出来ない。そこでエイボン社が1988年、労働省にお伺いを立てたところ、これまで企業年金の議決権行使を禁じてきたが、「今後は企業年金の議決権行使も資金運用責任者の(ERISAで定める)受託者責任とする」というレターが労働省から返ってきた。これをエイボン・レターという。

米国各州の会社法では、株主総会での主たる決定事項は株主の代理人たる取締役の選任であることから、企業年金はじめ年金基金は積極的に取締役とくに独立取締役の選任に積極的に関与し、コーポレートガバナンスに大きな影響を与えることになった。これをShareholder Activism(Activist Shareholder)という。

(若杉 敬明)

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