JCGR 日本コーポレートガバナンス研究所

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2020 コーポレートガバナンス研究会:第11回「韓国・中国のコーポレートガバナンス改革」

目次
Ⅰ 韓国のコーポレートガバナンス改革-序-
 1.韓国の財閥経済と政策金融
 2.財閥の実像
Ⅱ 中国のコーポレートガバナンス改革
◆ Q&Aセッション

Ⅰ 韓国のコーポレートガバナンス改革―序―

1.韓国の財閥経済と政策金融

韓国経済の復興と漢江の奇跡 国境の38度線を越え合う激戦の朝鮮戦争(1950-1953)でインフラや生産設備をほとんど失い韓国経済は1960年代前半までほとんど壊滅状態であった。1960年代になりようやく韓国政府も動き出し、経済開発5カ年計画が策定され実施に移された。素材や軽工業から出発したが1970年代になると政府は重化学工業育成に力を入れ、輸入規制および金融・税制支援のより企業の育成を図った。1980年代になると世界的な経済好況とグローバリゼーションを背景にした輸出増加で1997年のアジアの金融危機まで著しい経済成長を成し遂げそれは「漢江の奇跡」と呼ばれた。

政策金融に支えられた輸出経済 奇跡を支えたのは政策金融であった。資本市場が発達していないので、銀行借り入れを中心とする間接金融が企業の唯一の資本調達手段であった。銀行とは政府所有の都市銀行であり、企業は政府の産業政策に沿った政策金融により都市銀行から低金利の融資を受けてきた。都市銀行は自ら融資の意思決定をするのではなく政府の政策金融基準に合致するか否かが重視された。その意味では、都市銀行は政策金融の窓口的な役割しか果たすことができず、日本のようにメインバンクの企業モニター機能は作用しなかったと言われる。

財閥に支えられた韓国経済 政府は日本の輸出志向政策お手本とし、輸出・生産規模拡大を重視する優遇施策をとった。こうして、企業を政策金融や政府系銀行からの資金調達に依存させることにより、企業を誘導するとともに監視した。5カ年計画や産業育成計画を立案し、国際競争力向上により輸出実績・生産実績を拡大させた企業に対して、金融面で優遇するというインセンティブを付与し企業を誘導した。この政策に乗り、ファミリー企業が政府指定の戦略部門に参入し、企業成長を遂げ財閥を形成するようになった。政策金融により資金は潤沢に供給されるので、ファミリー企業は多角化を進め企業グルーである財閥を形成したのである。財閥の拡大志向は体質化し、過剰投資・過剰多角化を誘発した。なお、1981年から都市銀行の民営化が始まったが、依然として政府が銀行業務を強く統制したおり、官治金融の伝統が続いていた。

財閥の破綻とコーポレートガバナンス改革 このようにして、拡大した財閥は韓国経済の中枢を占め、企業集団「チェボル(財閥)」形成し、韓国経済の中枢を占めるに至った。しかし、過度の借り入れ、業種の多角化、先端経営手法の導入等によりリスクが増加し、1997年末に始まったアジア金融危機で多数の企業が倒産した。アジア金融危機とは、1990年代に入りアジアの成長を見込んでタイや韓国に流入した資金が、アジアの財閥経済の知るにつれて、そのコーポレートガバナンスの脆弱さに恐怖を感じ、一気に引き上げられ、タイや韓国の企業が流動性不足に陥った混乱である。

韓国経済はIMFの監視下に置かれるとともに、IMFからコーポレートガバナンス改革を迫られた。それが韓国のコーポレートガバナンスのきっかけである。

2.財閥の実像

韓国は、GDPの50%以上を、4つの財閥「チェボル」の売上に頼っています。四大財閥とは「サムスン」「ヒュンダイ自動車」「SK」「LG」である。数十の企業から構成される企業グループである。グループのトップである会長は総帥と呼ばれ絶対的な権限を持っている。息子や親族(特殊関係人と呼ばれる)が代々会長を継承する。グループ企業の取締役(理事と呼ばれる)は商法に基づく職責であるが、グループ会長は会社の任意の職責であり、商法の規定には基づかない。

1970年代からの重化学工業化とともに、上位財閥が傘下企業を増やしグループ組織を拡張させてきたが、その成長は、頂点に立つグループ会長が意思決定に寄るものであったといわれる。グループ企業の重要な人事・新規事業・投資案件・長期案件などはグループ会長直属の会長秘書室で立案され、個別企業の取締役会・代表取締役の権限と責任は軽視されてきた。グループ会長への権限集中という韓国独特のトップダウンの組織形態である。後発国のキャッチアップ段階では迅速な意思決定に基づく新規事業の確立という重要な役割を果たしたと高く評価されている。他方で、内部のチェック機能が不全という問題を内包していたと言われる。

政府の誘導による過剰な借金経営は、グループ会長主導の意思決定において大きな判断ミスを招いた。現代自動車のカナダ進出(1984)、三星グループの自動車産業参入(1994)や大宇グループの事業拡張と海外展開(1980年代)等が指摘されている。これらは会長の意思決定を誰もチェックしていなかったためだと言われる。財閥は、事業会社では過剰投資・多角化に悩まされ、金融部門では不良債権に悩まされた。1997年10月起亜自動車の倒産を皮切りに経済状態が悪化し、韓国はIMFに緊急融資を仰がなければならない経済危機に陥った。これを契機にコーポレートガバナンス改革が実行されたが、財閥経済の実態はほとんど変化がないという指摘もある。

韓国の財閥は、グローバルな競争力を獲得しており、比較的優れた経済的成果を収めている。日・米・欧・中国などでも大企業がグローバル競争を牽引してきた。その意味では韓国でも大規模企業集団「財閥」の育成が必要な側面もあった。そして、実際、成果をあげた。それにもかかわらず、韓国の財閥が社会的批判の対象となるのはなぜか?それは①出資構造の特殊性=違法性と②組織の閉鎖性が、財閥ファミリー以外の少数株主の利益を犠牲にしてきたからである。

Ⅱ 中国のコーポレートガバナンス改革

社会主義を標榜する中国のコーポレートガバナンスの実態は、資本主義国のコーポレートガバナンスとは全く異なると言っても過言ではないであろう。

1949年に社会主義革命を達成し新民主主義経済から国営企業による社会主義計画経済に突入したが、その非効率性から1978年改革開放路線を唱えざるを得なくなり、市場経済導入により国営企業の効率化を目指すとともに、門戸開放-資本輸入-により成長資金の導入を図った。それでも社会主義の非効率性は解決せず、1984年国営企業から国有企業の転換を図った。これはまさに、「所有と経営の分離」であり、資本主義の導入である。さらに1993年には公司法を制定し株式会社制度を採用した。国有を株式保有に切り替え近代化を装ったのである。その後は、国有企業を分類し、100%国有以外の株式会社は国内だけでなく海外での上場等により、資本の導入とともに企業イメージの向上に努めてきた。しかし、すべての株式会社に共産党の組織が常駐し、株主以上のガバナンスを行使しているなど、不明朗な点が多い。韓国の財閥会社においては、少数株主の犠牲によりファミリーが利益を享受しているのと同様に、中国においては少数株主は中国、具体的には中国共産党のために少数株主が犠牲になっているのである。それでもなお、中国の株式会社は、国の保護により大きな利益を上げているので、少数株主といえども株主価値向上の恩恵を受けているので、投資家の間では中国企業は魅力ある会社と歓迎されているとのことである。

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