論考:モニタリングボードとしての取締役会の変容

モニタリングボードとしての取締役会の変容

一般社団法人日本コーポレートガバナンス研究所

代表理事 若杉敬明

 

はじめに

わが国の会社法は、取締役会の権限として①業務意思決定、②業務意思決定を執行する執行役員の監督、そして③代表執行役員の選任を定めているが、これは各国ほぼ共通である。

この枠組みの下で、取締役会の実務の現状は、マネジメントモデルとモニタリングモデルに大別されると言われる。わが国の多くの企業は前者であり後者はごく一部である。前者は取締役が業務執行役員(いわゆる経営者、以下執行役員)を兼ね、監督と業務執行が一体化した取締役会のことをいう。後者はガバナンスとマネジメントの分離-取締役と執行役員は原則として別人とする-の下で、経営者の成果を監視し厳格に評価するタイプの取締役会である。

取締役会は、株主から会社を委ねられるが、業務の意思決定は行うが、その執行は執行役員を選任し、執行役員に委ねる。モニタリングモデルの取締役会の役割は、執行役員の職務を監督するとともに監視(モニター)をすることである。それゆえにモニタリングモデルとよばれる。

        注)監督とは事前の行為で、監視あるいは検査とは事後の行為である。

執行役員の業績を客観的に監視・評価するためには取締役会が独立であることが前提となる。それゆえ取締役会は独立取締役-実際には独立社外取締役-を主体に構成されなければならない。このタイプの取締役会が、論理的には、株主と執行役員の間のエージェンシー問題を解決するベストプラクティスであると言えよう。

1.モニタリングモデルのロジック

モニタリングモデルの構造は複雑である。以下、米国企業の実務をイメージしながらそれを解明して行こう。

先ず業務の意思決定である。会社の目的は営利である。営利とは事業から利益を上げそれを出資者に分配することである。営利のことを会社の業務という。株式会社においては株主のために利益を上げるための企業行動が業務である。

株式会社は、いかなる事業を行って利益を上げるのであろうか。事業の範囲は定款で会社の目的として定められている。その範囲で、会社はどのような事業をどのように行うかは自由である。

株主が会社に投資する目的は株式会社の営利行動を前提として利益の分配を受けることである。現代の株主総会において支配的な株主は長期的な観点からの利益の最大化-株主価値最大化-を望む機関投資家である。株主の利益に重要な影響を与える業務に関する意思決定-戦略的意思決定など-を行うのは取締役会である。

2.取締役会の業務意思決定の前提

モニタリングタイプの取締役会においては独立取締役が中心であるが、独立取締役は独立性を確保するため、事実上、社外取締役である。社外取締役が、長期的せよ短期にせよ事業計画の策定などはできないことは誰の目から見ても明らかである。経営戦略始め経営計画案案を練ることができるのは、事業に従事し自社の経営環境を熟知する管理者や自社の経営資源に詳しい管理者、そして経営者である。つまり、経営陣と経営企画部や経営戦略部のスタッフのチームである。かくして、CEOをトップとする経営陣が策定した、経営戦略や重要な投資・資本調達などの事業案が取締役会で議論され業務意思決定がなされる。

3.取締役会のガバナンス-その1-

その際、意思決定された業務が、株主が期待する営利に結びつくように、、組織経営の基本ツールである目標管理が導入され、そこでは経営陣が目標とすべき諸指標(KPI)が設定される。インセンティブとなり経営陣から目標を達成する経営が誘導されるように、業績目標が埋め込まれた業績連動報酬プランが経営陣に付与される。それが取締役会の「監督」行動である。目標が課された後、いかにこれを達成するかは、経営陣のリーダーシップと管理に委ねられ、取締役会は経営陣の経営行動とその成果を監視するのみである。

4.経営組織と内部統制システム

企業においては、事業を行うために必要なジョブが経営陣により経営組織として体系化されている。そのジョブを企業で働く人々が分担する。ジョブの実施に関しては経営者によってルールが定められている。そのルールの全体、体系が内部統制システムである。内部統制システムが健全に機能しなければ目標の達成は期待できない。そこでCEOは監視機能をインストールし、スペシャリストにすべてのジョブが内部統制にしたがって遂行(コンプライアンス)されているかを検査させる。これが内部監査であり、内部監査のスペシャリストが内部監査人である。

5.内部監査および外部監査と取締役会の監査

内部監査人は職場の末端作業からCEOをトップとする経営陣の職務遂行までを対象に監査する。内部監査が厳格に行われるためには内部監査人が、企業内のすべての対象者(ジョブの担当者)に対して独立であるとともに、それを担保する社内の立場が保証されていなければならない。このことは、経営陣が、コンプライアンスの下、与えられた目標を達する上で基本的なことである。

そこで取締役会は、内部監査人の独立性を守るためにサポートするとともに内部監査人の独立性を検証する。他方、経営陣から株主に対する財務報告を監査する外部監査人も設置されているが、同様に独立性が求められる。経営者の健全な目標達成の実現を目指す取締役会には、内部監査人および外部監査人の独立性を監視する機能が不可欠である。これが取締役会の監査委員会による監査機能である。

ここで注意すべきは、監査自体は、監査委員会が行うわけではなく、内部監査人および外部監査人が行うということである。その意味では、監査委員会が職責を果たすことができるためには、執行部門である内部監査部門が前提である。監査委員会は、内部および外部の監査人にとってもっとも重要な特性である独立性をモニターし検証することによって、内部統制システムの機能を確保するのある。まさに取締役会のモニタリング機能である。

6.取締役会の独立性―再論―

このように報酬委員会および監査委員会は、当該執行部門の協力を得つつ、業務執行を評価するということになる。つまり、執行部門と取締役会のコラボが前提あるが、取締役会は執行から独立でなければならない。繰り返しになるが取締役会が独立取締役を中心に構成されなければならない所以である。

7.取締役会の機能の多様化

CEOをトップとする経営陣から優秀な経営を引き出すために取締役会がなすべきことは、報酬や監査に関する監督だけではない。取締役会が経営陣の経営を監視しなければならない側面は他にもある。しかも、国内状況や国際社会の変化・進歩にともない、企業が-必ずしも法律的にではなく倫理的に-応えなければならない問題が次々と出てきている。SDGsに代表される地球のサステナビリティ、ジェンダー・人種間の差別問題、社会における格差問題等々である。これらの問題は本来、CEOをトップとする経営陣が、法律を遵守しつつ営利企業の経営者として対応すれば良い問題である。株主はあくまでも営利を追求することだけを求めるかも知れないが、営利を追求しながらこれらの社会的問題の解決に貢献できるかも知れない。これまで、企業は営利を追求しながら、社会の進歩に貢献してきた。

現代においては企業にこのことが求められているのではないだろうか。それに取締役会が応えるためには、「自社において社会貢献と両立する営利事業」が可能か否かを積極的に検討する体制を作ることを、経営陣に促すことが不可欠である。モニタリングモデルの取締役会には、従来、報酬委員会と監査委員会と並んで、優秀な取締役を選任し、企業のガバナンス体制を構築し維持することを職責とする指名委員会とがあった。

8.指名委員会の変容

指名委員会の機能も、報酬委員会および監査委員会と同様にHR部門など執行部門の活動が前提になる。HR部門は、取締役会のためにも執行部門のためにも、絶えず外部の人材をサーチしているので、社内人材のデータベースだけでなく社外人材のデータベース(へのアクセス)を持っている。社外に求めるのが原則である独立取締役候補のリスト作りは、HR部門に任せるのがベストである。もちろん人材コンサルタントの活用が不可欠な場合もあろう。

取締役候補者のリスト作りは伝統的に指名委員会の最重要な職責であったが、現在のNYSEの上場会社規則は、指名委員会にそれ以上のことを求めている。つまり、上場会社のコーポレートガバナンス体制作りである。指名委員会は、取締役会委員会存廃・親切の決定から委員会メンバーおよび委員長の選定まで引き受けざるを得なくなっている。その上、コーポレートガバナンスガイドラインも決定しなければならない。HR部門への依存は非常に大きいと言わざるを得ない。このような指名委員会の活動範囲の広がりを考えると、指名委員会は必要な人材を備えた独自・独立のオフィスを持つことが必要であるかも知れない。ただし、執行部門のHR部門は一線を画さなければいけない。指名委員会に課された以上のような役割から、米国では指名委員会は取締役会のガバナンスの頂点と位置づけられており、指名委員会委員長は取締役のトップとされている。NYSE流に言えば、コーポレートガバナンス体制の運営管理を担う指名・コーポレートガバナンス委員会である。

指名委員会は、すでに新たな社会的要請に応える指名委員会に変容しつつある。指名・コーポレートガバナンス委員会が設置すべき代表例が取締役会のサステナビリティ委員会である。この委員会の理念は、経営陣に、地球のサステナビリティに貢献しながら営利企業としての自社のサステナビリティを確保する事業の開発に向けて経営陣にプレッシャーを与えることである。その開発は業務執行役員であるCEOの責任である。そのような事業機会を開発し、営利に貢献する事業として取締役会の案件として提案されたら、取締役会がそれを審議する。本質的には取締役会の機能は変化していないが、取締役会が意思決定機関として対象とする問題の範囲が急速に拡大しているのである。

まとめ

ここで強調したいのは、三委員会を始めとして取締役会の活動はすべて執行部門の活動に支えられているということである。取締役会のモニタリングモデルの名称の由来は、取締役会の活動は業務執行部門の関連する活動のモニタリングであることに由来しているのである。取締役会とCEOを頂点とする執行部門は、自己研鑽はもちろんであるが、それ以上に相互に尊重し合い協力し合いながら活躍の場を高めて行かなければならない。

(未定稿2021/11/17)

コーポレートガバナンス・コードとサステイナビリティ

一般社団法人日本コーポレートガバナンス研究所 代表取締役 若杉敬明

はじめに
 コーポレートガバナンス・コードは、その初版から【原則2-3社会・環境問題をはじめとするサステイナビリティを巡る課題】において取り上げている。
 人類を取り巻く諸要因の下で、環境を含めて、文化、社会、経済を持続可能にしていくことをサステイナビリティ(Sustainability)という。この語の起源は社会的責任(CSR; Corporate Social Responsibility)にある(*)。ここでは「環境、社会、経済」のサステイナビリティと表現することにする。CO2がもたらす温暖化が地球の状態を大きく変えていることから、ホモサピエンスはサステイナビリティに関して大いに危機感を高めている。現代社会において、企業は、人々が必要とする財・サービスを社会に提供するととともに、労働と資本を通して人々に所得を生み出すという使命を負っているが、その際、特に大きな企業は永遠の存在と見られてきた。企業会計はこのことをGoing Concernと表現している。しかし、現代に至りそれに疑問符が付いており、永遠性を取り戻そうと全世界的な努力がなされている。企業にその一環を担うことが期待されており、企業が事業活動を通じて環境、社会、経済に与える影響を考慮しつつ長期的な経営戦略を組み立てていく過程がコーポレート・サステイナビリティと呼ばれ、注目を集めている。

(*)Wikipediaによれば、企業の社会的責任(CSR)とは、国際的に活動している民間企業の自主規制の一形態であり、ボランティア活動や倫理的な活動を行ったり支援したりすることで、博愛的、活動家的、または慈善的な性質を持つ社会的目標に貢献することを目的としている。 かつては、CSRを組織内の方針や企業倫理戦略として表現することができたが、国内外のさまざまな法律が整備され、さまざまな組織がその権限を行使して、個人や業界全体の取り組みを超えてCSRを推進するようになったため、そのような時代は過去のものとなった。以前は企業の自主規制の一形態と考えられていたが、ここ10年ほどの間に、個々の組織レベルでの自主的な決定から、地域、国、国際レベルでの義務的なスキームへと大きく移行している。(https://en.wikipedia.org/wiki/Corporate_social_responsibility)

 資本主義においては、企業には利益を追求すること(営利)により社会に貢献することが求められている。企業の社会的使命はそれだけではないという観点から、企業の社会的責任(CSR;Corporate Social Responsibility)がこの数十年間叫ばれてきた。日本語のウィキペディアによれば、「CSRは企業が利潤を追求するだけでなく、組織活動が社会へ与える影響に責任をもち、あらゆるステークホルダー(利害関係者:消費者、投資家等、及び社会全体)からの要求に対して、適切な意思決定をする責任を指す。CSRは、企業経営の根幹において、企業の自発的活動として、企業自らの永続性を実現し、また、持続可能な未来を社会とともに築いていく活動である。企業の行動は利潤追求だけでなく多岐にわたるため、企業市民という考え方もCSRの一環として主張されている。」CSRは年を経た概念であるが、これに「地球環境の持続性」への配慮が加わったのが現代のサステイナビリティ概念と言えよう。

 企業に関するサステイナビリティを巡っては、実務が先行し概念的な整理が行われているように思う。企業は、サステイナビリティを無視して事業を行って来たわけではないと思う。極言すれば、企業の外野が、企業にアドバイスビジネスをするために目新しい概念を提供しているようにも見受けられる。もちろん、企業においてサステイナビリティという概念が重要である。そのためには、基本モデルを明確にしておく必要がある。以下では私が考えるサステイナビリティ経営、そしてそのためのサステイナビリティ・ガバナンスの概念を明らかにしたい。

1.サステイナビリティとは

現在普及している用語法にしたがい、サステイナビリティを日本語では「持続可能性」と表現する。サステイナビリティという時、企業の観点からは、「企業」のサステイナビリティと「地球環境」のサステイナビリティという二つの次元のサステイナビリティが浮上する。

2.企業のサステイナビリティ

企業は、株主、債権者、従業員、顧客、サプライヤー、地球環境等のステークホルダーによって支えられ持続する。これらのステークホルダーを安定的に確保することが重要である。資本主義経済においては、地球環境以外のステークホルダー(の貢献)は、市場という競争の場で確保される。確保するためには、各ステークホルダーが市場で受け入れることができるフェアな対価を提供しなければならない。なお、企業が、各ステークホルダーに提供する対価の原資は、顧客がもたらす販売収益である。

1)顧客からの販売収益を確保するためには、顧客を満足させる品質のよい製品をそれに見合った価格で市場に提供することが基本原則である。

2)そのためには、従業員から事業を推進するのに必要な労働(labor)を安定的に確保しなければならいない。従業員に市場競争力のある対価(賃金、処遇、労働環境等)を提供することが不可欠である。

3)同様に、サプライヤーから製品の生産に必要な良質なインプットをタイミング良く調達することが重要であり、サプライヤーには品質・納期等にふさわしい対価で応えなければならない。

4)債権者には、金融市場で決まる条件(金利、期間、リスクおよび資金の使途など)により資本を調達するとともに返済しなければならない。

5)ビジネスリスクを負担する株主には、企業は適切なリスクマネジメントを行い、可能であるならばリスクに見合った以上のリターンを実現し、満足させることが必要である。それにより企業を存続・発展させるための資金をリーズナブルなコストで安定的に調達できる。

6)環境(地域、社会、地球環境等々)は企業のサステイナビリティを支える重要なステークホルダーであるが、環境自体の市場はない。しかし、国内・海外のステークホルダーが求める品質については(資源の流動化に伴い)、合意が形成されつつある。それを見極め、経営に生かすことが企業の持続のために不可欠になりつつある。

3.サステイナビリティ・マネジメント

 会社の目的は営利である。上記の1)~6)を前提に、企業の持てる経営資源を最大限に活用して長期的視点からの利益を最大化する事業を展開するのが経営-マネジメント-の役割である。そのためには一定の経営理念の下、企業の長期ビジョンを描きそれを実現する経営戦略を決定し実行する。これをスムースに進めるために、株主から会社を委ねられた取締役会はどのような経営体制を構築し経営を進めて行ったら良いのであろうか。英米流の一層型の取締役会の国の最近のベストプラクティスは、株主総会で選任された取締役で構成される取締役会は、独立取締役の多数で構成され、その取締役会はCEOをトップとする執行役員を選任し株式会社の経営を委ねる。経営陣は、株主の利益と整合的な業績目標を与えられ、その報酬は長期の業績目標の達成をインセンティブとする業績連動報酬(Pay-for-Performance)であるので、自ずと業績達成に動機づけられている。経営陣は、業績目標を達成するためには、自社の経営資源を活用し、いかなる事業を行うべきかを決定する。それが経営戦略である。長期の経営戦略を達成するためには、サステイナビリティを確保することが不可欠であるから、経営陣はそのために各ステークホルダーをいかにマネージするかに腐心する。それがサステイナビリティ・マネジメントである。事業にはリスクを伴う。リスクを負わなければ利益を営利を実現することができない。株主の財産(自己資本)を預かり営利を託された経営陣は、リスクマネジメント、サステイナビリティマネジメント等々さまざまな制約の下で利益を実現し受託者責任を全うしなければならない。

 経営者にこの受託者責任を果たさせることが、株主によって選任された取締役会の受託者責任であ。その責任を遂行するために、取締役会は、指名、報酬、監査の三機能を通して経営者を健全な利益追求に向かせようとする。これが取締役会のガバナンスである。

4.取締役会のガバナンスの前提

 上述のような取締役会のガバナンスが機能し役目を果たすのは、取締役会が圧倒的多数の独立取締役で構成されており、ガバナンスとマネジメントの分離-取締役と執行役員は別人とすること-いるときである。まさに英米の企業の取締役会である。このような取締役会の下では、上述の指名、報酬、監査を機能させていれば、経営陣は自ずとリスクマネジメントやサステイナビリティマネジメントを健全に行い、持続性のある経営を実現する。

5.取締役会のサステイナビリティ委員会

 しかし、このような取締役会が存在しないときには、経営陣に対する動機付けが完全でないので、取締役会は経営陣に対してマネジメント上の指示を出さざるを得ない。独立取締役が支配する取締役会が一般的ではないわが国では、コーポレートガバナンス・コードに見られるように、ガバナンス・コードに経営上の指示が盛り込まれることになる。それはヨーロッパの企業も同様である。サステイナビリティ・ガバナンスに深い関心を持っているが、取締役会のサステイナビリティ委員会が扱う項目は、各ステークホルダーに対するマネジメント上の注意である。ヨーロッパの国々が取締役会のガバナンス活動の拡大に勢力を割いているが、アメリカの企業はそれほどでもないのは、取締役会の構成や性格に違いがあるからではないだろうか。しかし、それと同時に、企業の業種などによってリスクファクターが異なりその重要性に他業種と著しく異なる-企業によってサステイナビリティを支えるキーファクターが異なる-ので、取締役会がマネジメントにその点に注意を喚起させるという意味合いもあるのであろう。

 ただし、ガバナンスとマネジメントの分離と述べたが、ガバナンスとマネジメントの間には截然として区切りがあるわけではないので、ガバナンスとマネジメントの分業に関しては、実態をよく調べた上で、柔軟に対処する必要がある。  2021/07/24 2021/1/16

経済と数学教育-その1-

経済と数学教育-新井論文を紹介しつつ-

第2回ファイナンス研究会のテーマである金利の計算はファイナンスの基本原理であり、ファイナンスの入り口である、これを理解していればファイナンスの80%は理解できる。数学的にはほぼ四則演算で完結しているので、ファイナンスは誰にとって親しみが持てる世界のはずである。しかし、実際には、大学でファイナンスを教えてきたが、敷居が高く、どうしても中には入れない学生が多い。実務の世界でもファイナンスを理解できない執行役員が多く、ファイナンスはCFO(Chief Financial Officer)の独壇場である。その結果、重要な業務意思決定に関する取締役会において、CFOの提案にチェックを掛けられる取締役が不在のため、みすみす間違った意思決定がなされ苦境に陥る企業が少なくない。

大学でファイナンスを教えてきたが、そこで使われている算数や数学は、まさに昔学校で習った算数や数学である。算数や数学を生活や経済と結びつけて学んでいたら、みんながこんなに数学嫌いにならなかったのではないかとずっと感じてきた。金利の問題がまさにその一つである。

第2回ファイナンス研究会に関連してこんなことを考えていると、たまたま新井明著「経済教育と算数・数学-算数・数学教育の歴史的検討からー」(経済教育学会誌 2017年9月号)という論文を見つけた。私の経験から共感することや教えられることが多いので、若干紹介させていただく。ただし、算数・数学の全体について触れていくと膨大な量になるので、金利計算を中心に取り上げていく。

多少長くなるが、著者の問題意識を紹介させていただく。

「経済学の学習には数学的知識が必要である。ところが,経済学を学ぶ上で数学を苦手とする経済学部学生は多い。その存在は『分数のできない大学生』以来周知の事実となっている 。また,日本学術会議の「参照基準」にも経済系大学生の数学の学力不足と大学での数学教育の必要性の指摘がされている。(岡部恒治・戸瀬信之・西村和雄編『分数のできない大学 生』東洋経済新報社,1999)

その原因は,西村和雄らが指摘するように,一つに は,学習指導要領の変化による算数・数学の学習時間の絶対的不足であるが,ほかに,「参照基準」が指摘 するように経済学が文系科目に分類されていることにより,数学と経済が別の世界の話であると生徒も教師も捉えているからとも推定できる 4)。

もう一方,日常生活でも数学的な知識と技能も必要である。しかし,日常生活でも数学を苦手とする人間は多い。経済活動と数学は切り離せないのだが,算数や数学教育のなかで数学的リテラシーが十分に育てられていないことが推定される。日常生活と数学教育に関しては,実は,戦後の算数・数学教育で生活単元型の学習のなかで「社会をよくする」ための数学が提唱されていた時期があり,それが実践されていたことがあった。また,戦前の高度な算数教育に関しては,かなり高度な経済計算が教えられていたことが,最近,大竹文雄と横山和輝によって紹介されている 5)。大竹は,高等小学校三年の算術教科書の紹介から, むかしの小学生が複利計算など高度な経済計算を学習していたという。(大竹文雄「複利を理解していない日本人」日本経済研究 センター HP『経済脳を鍛える』2015 年 8 月 17 日号。

横山も同様に,複利計算を戦前の小学生が行っていることを紹介し,それが成果を上げていたと論じて,現在の金融教育,経済教育の問題点を指摘している。(横山和輝『マーケット進化論』日本評論社,2015,)

しかし,両氏とも複利計算について言及しているが, 学校制度,算数・数学教育のなかでそれらがどんな位置をしめていたか,また,それがなぜ消えたのか,現在の状況に関する言及は残念ながら少なく,それをどう克服してゆくのかについての展望は,両氏の紹介か らは,すぐには見えてはこない。

 本稿では,一つは,経済学の教育のために,どのような数学教育が求められるか,それはどのようにしたら可能になるのかという問題意識と,もう一つ,日常 生活のなかで経済と数学がどのようにしたらスムーズ に結合できるのか,その方策は何かという問題意識の もと,経済教育と算数・数学教育の関係を探り,そのあり方を考察する。」

1.江戸時代および江戸時代以前

著者は、江戸時代の初期にさかのぼり、「日本で本格的な算数・数学教育が展開されたのは江戸時代からで ある。なかでも,江戸時代初期に発行された吉田光由の『塵劫記』1627年は,日本における庶民向けの数学教育の先駆的テキストといってよいだろう」として、三巻からなる同書の内容を紹介している。

これが私にとって懐かしく感じられた。私が小学校高学年のときには鶴亀算、旅人山、植木算などの「なんとか算」(正確には特珠算と呼ぶらしい)をたくさんやらされた。以下、引用である。

「上の巻では,数,単位,面積, 体積,重さなどからはじまり,九九,掛け算と学び, 割り算はそろばんを使って計算させる。そのうえで, コメの積み上げ問題や両替問題,利息の計算,絹・木 綿の売買問題など実利的知識,計算技能を習得させる 内容になっている。

中の巻では,様々な具体的事例に基づく計算が紹介 されている。事例では,船賃,升の大きさ,検地,屋根ふき,河川工事の計算などが扱われ,当時の土木工事などの理工系的な内容に拡張している。

 下の巻では,ネズミ算,倍々算,からす算,人口計算など各種の応用問題や,誕生日をあてるままこ立てのようなクイズに近い問題が取り扱われる。」

(注: 継子立ては碁石を使う遊戯で、徒然草(1330年頃)の文中に引用されているほど、古くからわが国に伝わる一種の数理ゲームです。この名称の由来は、黒石を先妻の子(継子),白石を後妻の子(実子)に見立てて、相続人一人を決定するというドラマに擬して遊んだことによります。Imujii’s page

下の巻はまさに特珠算を扱っているわけである。 なお、「中学受験の算数教室」というウエブサイトによれば、中学入試の算数では特珠算が数多く出題されているとのことである。

 「いずれも,江戸初期の経済生活に役立つものとして, 商人や武士のなかでも土木などを担当する者向けの実用的なものとなっている。ここから,寺子屋向けの庭訓物が作成され,それが普及して,日本人の数学リテラシーの向上に大きな功績を残しているといってよいだろう。」

2.明治期から昭和前期

明治維新後,西洋数学が導入され、「子供向けの算数教育では明治 5 年(1873)の学制に基づいて,文部省による『小学算術書』がだされ,民間でも『数学三千題』のような計算問題中心の演習書が発行されてひろく利用された」とのことである。

その後、1905年『尋常小学算術書』(黒表紙本)が国定教科書として刊行され、緑表紙本と呼ばれる『尋常小学算術』(1935年)が刊行されるまで30年近く日本の小学校向け数学教育に大きな影響を与え続けたいう。

「黒表紙本では,「生活上必須ナル知識」として,数の数え方から加減乗除,小数,分数計算,比,歩合までが配当されていた。特にここで注目したいのは歩合算の箇所であり,大竹,横山の紹介している計算はここの部分とその延長部分である。

歩合算は黒表紙本では,尋常 6 年生の最後に学ぶ項 目で,歩合,損益,租税,利息,公債株式などの計算 を行う学習項目である。百分率の呼び方から始まり, 様々な経済に関連する計算を行わせることになっている。一見すると生活に関係する重要な学習に見えるが, 公債や株式の知識や計算が当時の生徒の生活にどれだけ関連があったのかを考えると,かなり無理がある教材だったといえよう。」

緑表紙本は,1935 年から使用が始まったが1941 年の完成と同時に戦争のため教科の整理統合が行われたため,短期間の使用で終わり,幻の教科書ともいわれたとのことである。

「ここでは,算数教育の基本は「数理思想の開発」であるとうたわれていて,黒表紙本が計算の形式を学び, 暗記的に計算処理をせざるを得ないような展開をしていたのに対して,数理的な考え方や思考過程を重視するものとなっている。また,「日常生活を数理的に正しくする」という目標のもとに,衣食住に関係する内容を広く例として取り上げるだけでなく,自然現象や 理科的な内容も広くとりいれられ大幅に改善されている。その代りに,証券や債券など生徒の生活から遠い事例は大幅にカットされている。」

3.第二次世界大戦後の数学教育「生活算数・ 数学」

 戦時下、緑表紙本の後に,青表紙本である『カズノホン』『初等科算数』が刊行される青表紙ほんと呼ばれたが、戦後それらは戦時色が強いということで墨塗り教科書となり、 学習指導要領(1947年試案)に基づくいわゆる生活算数教科書が登場した。この指導要領では,算数の目標が「日常のいろいろな現象に即して,数,量,形の概念を明らかにし,現象を考察処理する能力と科学的な生活態度を養うこと」とされ、驚くほど経済に関する事項が学習項目として取り上げられていという。

私の経験では、小学校1年生の頃、校庭に市場を開き、一部の生徒が八百屋や魚屋やパン屋や菓子屋を置き、紙で作った野菜や魚やパンを並べ、他の生徒は消費者になり紙で作ったお札で買い物をするという行事があった。しかし、なぜかそれは一度きりであった。

 新井氏の論文を引用すると当時は次のような状況であったという。

「小学校の算数では,単元として「実務」が置かれ, 例えば,小学校 6 年生では貯金,貯金申込書,収支勘定,勘定書,領収書が学習項目として登場する。

新しく登場した中学校でも「生活経験」が列挙され, そのなかの数学的な技能を身につけるという構造のカ リキュラムが提示されている。「日常生活」には自然 現象,農作業,工場経営,貯蓄や投資が登場する。少し詳細に紹介しよう。

例えば,第 7 学年(新制中学 1 年生)では,歩合算 に相当する領域として,「百分率,歩合を含む実際問 題を解く」というタイトルで,「a 利率を表す問題,b 割合に関する問題,c 手数料に関する問題,d 家計の 予算を作る問題,e 損益に関する問題,f 価格の上がり,下がりに関する問題,g 家計の勘定に関する問 題」の 7 つが学習項目として挙げられている。

例として,「家庭の買い物で,品物の 1 割引きの値段を求める」という学習課題と,「おかあさんを助けて,家の予算をたて,お金を経済的に使う」という学習課題が挙げられている。さらに,用語としては, 「利息,利率,年利,日分,元金,期間,元利合計, 単利,複利,割引,手数料,勘定書,予算,原価」が挙げられている。

メインの数学的技能では,「百分率や歩合を含む四則計算をする。一つの数の,与えられた百分率や歩合に当たる大きさを求める。」などが指示され,「複利表を用いる」まで指示されている 。」

新井氏の論文を読み、私が経験した市場にはこのような背景があったのかと納得している。そして一度きりで終わったのは、次のような事情があったからである。

「生活算数・数学は,数学教育関係者から激しい批判に合う。これは初期社会科がうけた批判と同根である。 一つは,学力低下,もう一つは教材や教え方からの批判である。学力低下に関しては,戦前の水準にくらべて二年の遅れが出たとの調査結果が国立教育研究所から発表されている。教材や教え方批判では,当時の進歩的教育学者である海後宗臣や梅根悟からの批判が加えられた。また,のちに「水道方式」を提唱する遠山啓らが組織する数学教育者協議会からも「学力低下の最大の原因は,生活単元学習である」という批判が加えられた 。」

これらの批判を受けた形で,1958 年系統学習に基づく学習指導要領が実施されて,算 数・数学教育は大きく転回をはじめる。

「この指導要領では,「数学的な考え方」という概念 が登場したが,基本的な考え方は緑表紙本で登場した 「数理思想の開発」への回帰に近かったとされている。 この指導要領で,生活単元的な経済的な問題,特に金 融関係の事例はほとんどなくなり,指導内容は,「数と計算,量と測定,数量関係,図形」の四領域にまと められた。このうち,数量関係は新しく導入されたが, 「割合,式・公式,表・グラフ」から構成されている。 これは,生活単元学習でも扱われていた領域だが,事例は自然科学的,抽象度が高い扱いになって,生活のにおいがしない算数・数学がここからはじまったといえるだろう。」

数学は生活をするための技術ではなく、純粋理論としての数学に転じたのである。私は常々、なぜ私たちは経済や生活に結びつけて算数や数学を教えられなかったのかという疑問を持ち続けていたが、これで納得が出来たような気がする。

つづく

LVWUZ?

JCGR理事・専修大学商学部教授 大林 守

 表題、どこかのブランドの持ち株会社のようですが、米ブルッキングズ研究所のコラム(1)をもうひとひねりしたものです。ちょっと前のことですが、いつも早朝研究会で並んで着席しているW氏との景気に関してのやりとりで、ごく最近アメリカで発表され話題となったスペイン風邪の経済的影響の論文(2)を紹介しました。この論文、谷深ければ山高し的結論で、ロックダウンを早期厳格に行い、それが成功すれば景気は急激に回復する傾向があったというエビデンスをアメリカの市町村ベースの計量分析で入手しています。そして本日(05/09/2020)の日経では、“米雇用悪化、「大恐慌型」より「ボルカー型」か”という記事が出て、アメリカの雇用悪化は一時的な解雇中心なので、コロナが終焉すれば雇用回復は早いという希望的観測が出ました。

 景気回復のパターンへの興味が基本にあります。そういった中、上述の米ブルッキングス研究所のコラムがうまく整理をしているので紹介します。題して「コロナ後の景気回復のABC」です。このコラムでは、景気回復パターンをアルファベットで表しています。基本的に右上がりトレンドで成長する景気指標を想定し、景気回復はこのトレンド線への復帰とします。

 最悪がL型、景気指標の水準がコロナで下がったままのパターン。V型はコロナで下がるが順調に元に戻るパターン、W型はV型が繰り返されるパターン。U型は回復に遅れがあるパターン。Z型は左右逆にして斜めにする必要がありますが、コロナで下がり、回復後オーバーシュートしてから、元のトレンドにもどるパターンです。他のタイプと異なるのは、マイナス効果がオーバーシュートによるプラス効果でほぼ相殺される点です。ナイキのマーク型(Swoosh)もありますが、ちょっとやりすぎでVあるいはU型で説明可能でしょう。それよりも分類するならば、可能性は低いがJ型、つまり下がった後に元のトレンドよりレベルが高くなる超楽観的なパターンを考えることができるでしょう。(禍転じて福となす:マイナス効果をその後の持続的プラス効果が凌駕する)

 さて、これらのパターンを決める主要因が4つ、家計の消費意欲と支出能力、州・地方政府の財政、企業倒産と低設備投資、人的資本の喪失です。最初の3点は、ほぼ自明でしょう。家計消費が出てこないと生産したものが売れない、財政支出の後押しが必要、企業が倒産してしまうと起業するのが大変であり設備投資に消極的になる。

 最後の点はHR(人事)問題です。一時的解雇された労働者が必ず戻ってくるとは限らず、再雇用・再教育で回復の足を引っ張る可能性が大ということです。

 Z型を目指した経済政策運営が必要ですが、一時的な景気刺激策ではZ型は達成できません(そもそもZ型が必要かという議論もあります)。MMT(新貨幣理論)なる赤字財政を際限なくせよという理論が最近の流行ですが、かつてはラッファーカーブという最適税率があるという理論が出たこともあります。ブードゥー経済学と呼ばれる怪しい経済理論が跋扈する時代です。個人的には、政府が積極的に市場の失敗に対して政策を打ちつつ、市場メカニズムへ期待するしかないと感じています。

 さて、日本へのインプリケーションはと言われると、すぐには出てこないので、イタリアのネタで勘弁していただきたいと思います。筆者は以前イタリア・トスカーナ州のシエナ大学の客員で1年間を過ごしました。シエナ派と呼ばれる画家グループは絵画に遠近法を導入し、ルネサンス絵画の原点といわれています。ルネサンスは、イタリア語ではリナシメント(リ=再、ナシメント=生)でまさに再生です。

 リナシメントの背後には14世紀のペストがあります。雑学ですが、検疫を意味するquarantineの語源はquaranta、すなわちイタリア語の40という数字で、ペストを恐れた40日間の観察期間を意味します。このペスト時に中世ヨーロッパでは禁欲的キリスト教が絶大な権力を持っていました。しかし、ペストは宗教儀式では解決できず、教会は力をなくします。さらに、封建領主も力を失います。ペストで農民が急減し、年貢を取っていた農民に賃金を支払って耕作せざるを得なくなったことから、農民が相対的に力を持ちます(まさに市場原理です)。教会と封建領主という二大権力の失墜がルネサンスの原動力のひとつと考えることができます。そして、それが同時に中世から絶対王政、重商主義、そして資本主義という道筋を作ったことは、若杉先生のブログ「2020CG研究会:第2回「資本主義と株式会社制度」(3)で簡潔にして必要十分な名解説があります。そこでは、現代の先進資本主義国では、(少なくとも間接的には)資本家イコール労働者という階級間対立がない状態となっていると論じられています。

 ペスト後の世界が新しい世界であったように、コロナ後の世界も新しい世界を生みます。実物資本は無形資本に代替され、インターネットにより個々の労働者の力はこれまでになく水平的なものになってきました。こういった状況を活かすイノベーションが新しい世界を牽引するはずです。それが何かは歴史が証明するはずです。(逃げるは恥だが役に立つ?)

以 上

1.米ブルッキングス研究所コラム:https://www.brookings.edu/blog/up-front/2020/05/04/the-abcs-of-the-post-covid-economic-recovery/

2.スペイン風邪論文:https://gcfp.mit.edu/pandemics-depress-the-economy-public-health-interventions-do-not-evidence-from-the-1918-flu/

3.若杉敬明「資本主義略史」第2回コーポレートガバナンス研究会ブログ

皆がバフェットの言うことを実践したならば

偉大な投資家ウォーレン・バフェットに資産運用のアドバイスを聞くと、90パーセントをS&P500(上場大型株500銘柄株価指数)と連動する投資信託で、残りは短期国債で良いと言う。今なら、低コストと流動性の点から、S&P500のETF(上場投資信託)を買っておけということになろう。では、もし多くの投資家がこういったETFによる運用を行うと、ガバナンスに重要な議決権にどのような影響がでるのだろうか。

近代ポートフォリオ理論の教える最適投資は、個別銘柄ではなく、「マーケット・ポートフォリオ(全てのリスク資産の時価総額加重平均ポートフォリオ)を持て」であるから、バフェット方式は理論的にもほぼ支持される。それだけではなく、現実にS&P500を凌駕するパファーマンスを中長期的に維持することは非常に困難なことが知られている。

ETFは我が国でも急速に普及している。ネット証券などでは、日経平均株価の騰落率の2倍として計算された指数に連動するレバレッジ型ETFが、日間どころではなく月間で売買代金ランキングトップを維持するまでになっている。いま、日経225に連動するETFを例に取ると、機関投資家は日経225銘柄の現物を購入して、日経225の動きを複製し、それをETFとして投資家に売ることができる。(実際には全銘柄を購入しなくても十分複製可能)この場合、機関投資家が議決権を持つことになるので、機関投資家のスチュワードシップが問題となる。一方、先に述べたレバレッジ型ETFは合成的であり、現物ではなく先物やデリバティブを組み合わせて株価指数自体とか、指数の逆の動きや増幅された動きを複製する。この場合、当然、のことながら議決権は誰も持たない。新たに、議決権を持たないプレーヤーが株価形成に参加する問題を考える必要がでてくるが、これは別の機会に議論したい。

現物複製型のETFのスチュワードシップが重要であった。機関投資家は、投資先企業とその事業環境を深く理解した上で、投資先企業との対話等により、その企業の持続的成長と顧客の利益を両立させることが必要となる。S&P500や日経225は大型銘柄であり情報量が多い上、こういったETFは基本的に銘柄の入れ替えは少なく、長期的保有となる。とはいえ、保有する現物銘柄企業との建設的な対話を相当数こなさなければならない勘定となる。しかし、ETFは低コストが重要な特徴であり、信託収入はごく低く、スチュワードシップに配分できる資源には限界がある。

さらに、全世界に投資できることで有名なバンガード社のトータル・ワールド・ストックETFにいたっては855銘柄、50ヶ国にわたるポートフォリオである(2019年7月1日現在)。全銘柄・全世界での十分な調査と対話が可能だとは思えないし、きめ細かい議決権行使もできないだろう。ましてや、世界的にみると、ETF機関投資家は、バンガード、ブラックロック、ステートストリートの3社寡占状況である。各社の顧客数は膨大で多様であるから、顧客利益の追求は容易ではない。最近では、ESG(環境・社会・ガバナンス)やサステイナビリティーまで考慮しろという要請が加わり、問題をさらに複雑化させている

今、できることは何だろうか。株主総会を資本主義的な金銭投票だと考えれば、機関投資家の寡占化は間接資本主義投票の世界という解釈が可能となる。投資家は売買によって、自由に機関投資家を選択し、選択した機関投資家を代表者として、ETFを保有する間、自らの議決権行使を信託しガバナンスを委託することを通じて間接的に経営参加をし、意思の反映・実現を図るわけである。となれば、さしずめ機関投資家は政党であり、ETFは代議士となろう。当然、政党(機関投資家)の公約やマニフェストとその実現の検証が重要となる。したがって、何にもまして、機関投資家の議決権行使に関するポリシーの透明性と、顧客利益向上の検証手段の充実が課題となる。

大林 守