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2021 コーポレートガバナンス研究会
第2回 資本主義と株式会社制度

第2回研究会においては、コーポレートガバナンスの原点は、資本主義下の株式会社制度にあるので、第2回研究会では、資本主義の特質と株式会社制度の理念を明らかにする。ここでは資本主義および株式会社制度の概略を説明する。より詳細は説明は、JCGRのコラムを参照してください。コラム:資本主義 株式会社

Ⅰ 資本主義と社会主義

 資本主義は、18世紀後半イギリスで始まった産業革命を契機に成立した。資本主義は、自由競争により、企業や個人がそれぞれの利益を追求して経済活動を行えば、社会全体の利益も増大していくという考え方に立脚している。

1.資本主義の特徴

 財産を所有する個人や企業は、工場・土地・機械などの生産手段を私有し、財・サービスの生産・流通に従事して利益(利潤)を追求することが社会的に認められる。その前提は、私有財産制度の下、生産手段の私有が許されていることである。ここで生産手段とは、付加価値を生産するものという意味で企業を指す。他方、生産手段をもたない者は、労働力を提供して資本家から賃金を受け取り、もらうことを特徴とする。このことを「労働の商品化」という。

2.資本主義の理念

 国家(政府)は国民の経済活動に介入しないで、個人や企業が市場でなす自由行動に任せておけば-つまり市場に任せておけば-、需要と供給がバランスされるように市場が機能し、市場価格が決まるとともに、その価格に応じて生産者の商品生産量や消費者の商品購入量が決まるというのが、資本主義が信奉する経済原理である。この経済原理を「市場経済」という。

 産業革命当時のイギリスの経済学者アダム=スミスは自由主義的な市場経済を擁護する学説を唱えた

3.社会主義経済思想

 資本主義が浸透した19世紀後半になると、不況による失業や貧富の差の拡大といった資本主義経済の矛盾や弊害が明らかになってきた。ドイツの経済学者マルクスは資本主義経済を批判し社会主義経済を提唱した。私有財産制をとると資本が集中したところに独占が生ずるので、私有財産制と利潤の追求をやめ、個人や企業ではなく、国や地方公共団体・協同組合が生産手段を公有(社会的所有)することを主張した。理想は、資本家と労働者という階級対立をなくし、すべての人々を労働者とする平等な社会を作ることであった。

4.社会主義国の成立と問題の発生

 社会主義経済は、自由な経済活動が認められた市場経済ではなく、国家の計画と指令のもとに商品の生産・流通・販売や財の分配が行われる計画経済である。1917年のロシア革命を経て、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立したことで、実際に社会主義経済が実現した。そこでの経験は次のようなことである。

 社会主義経済においては、国の管理の下に生産量や価格が決められるので、労働者が一生懸命に働いて企業が成果を上げても賃金はあがらないので、労働者に効率よく仕事をしようとするインセンティブが働かない。また、自由な競争が行われないので競争原理が働かず、より良い商品を生み出すために技術改良を加えられることもない。労働者の勤労意欲は減退し、生産性が低下して経済は停滞する。

5.社会主義経済の限界

 さらには官僚主義による非能率的な国家運営が行われたり、一部の共産党幹部が富を独占してしまったりする事態にも陥った。行き詰まったソ連は20世紀末に解体、その後ロシアは急速に資本主義化し、今日では全面的に資本主義経済が導入されている

 中国では、中国共産党が全権を掌握した社会主義国家「中華人民共和国」が1949年10月に成立した。資本主義の痕跡を残しながら企業の国有化を進めたが、1970年代末から改革開放政策(経済改革・対外開放政策)に着手し、1990年代前半からは社会主義を維持しながら市場経済を導入するという「社会主義市場経済」を導入するようになった。社会主義の限界に苦しめられながら、資本主義の市場経済と社会主義の国有経済との妥協を図っている。

 平等で公平を社会を目指す社会主義の思想は美しいが、現実は理想と解離しがちであり、今や社会主義を標榜する国は世界でも少数に限られている。

Ⅱ 株式会社制度の成立

1.ヨーロッパにおける株式会社の歴史

15世紀半ばから17世紀半ばにかけての大航海時代、ヨーロッパ人によりアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が行われた。それにともない共同出資により大規模な貿易企業・植民地経営企業が誕生した。事業は一航海ごとに出資を募り、船が帰国した後に清算し、輸入品または販売代金を、投資額に比例して分配し終了するものであった。それらは Joint Stock Companyと呼ばれたが、恒常的・組織的な株式会社ではなかった

現代的な株式会社の誕生はイギリスとオランダの東インド会社であるとされている。テューダー王朝のエリザベス1世は、1600年12月31日正式に「イギリス東インド会社」を「東インド諸地域に貿易するロンドン商人たちの総裁とその会社」として法人格を認める許可状を下付した。国王から貿易の特権を与えられた世界最初の株式会社形態の勅許会社であった。1602年になるとオランダ東インド会社が誕生した。1回の航海ごとではなく、組織的な会社として永続的に資金を集め、定期的に利益を配当する事業を行った。継続的な自己資本を調達するとともに、初めて株主の有限責任を謳っており、世界最初の実質的な株式会社とされている。その後、各国で株式会社が導入されたが、独占権を与えられた許可制の会社で、勅許会社(Chartered Company)と呼ばれた。

その後産業革命期(18世紀半ば~19世紀半ば)を迎えると、工場制機械工業が確立し、産業および社会構造に大きな変革がもたらされた。世界で最初の産業革命は1760年代から1830年代にかけてイギリスで起こった。その結果、多額の資本を必要とする事業が急増したことから、事業形態として株式会社が多用された。それとともに、会社設立も許可制から登録制への移行し、やがては株式会社設立の自由化が一般化した。イギリスは1844年に許可制から登録制に移行し、フランスでは1867年、ナポレオン三世の第二帝政下、登録制による株式会社設立が可能になった。プロイセン王国のドイツでは1870年に株式会社設立の自由化が認められた。

2.アメリカにおける株式会社制度の発達

株式市場を備えた現代の株式会社制度を確立したのはアメリカであった。アメリカが独立したのは1776年7月4日であった。独立前のアメリカにおいては英国王の下、会社の設立は許可制で特定の会社の設立のみ設立が許されていた。しかし、独立後は、各州の議会がcorporation(法人)の設立を許可する法律を施行し、さまざまな形態の法人が設立された。許可は特権・独占権の付与を伴うものであった。株式会社は銀行から普及し、その後設立が続いた鉄道会社で一気に株式会社が普及した。特権が伴う代わりに規制も厳しいことから、規制緩和の波が広がり、1811年ニューヨーク州で規制緩和、1875年ニュージャージー州で規制廃止が行われ、19世紀末にはデラウエア州はじめ各州で株式会社設立の自由化が認められた。その後独占利益を求め、乱立された株式会社を整理するM&Aのブームが繰り返され、巨大株式会社が誕生することになった。

(若杉 敬明)

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