スキル偏重からコンピテンシー重視へ:取締役会の多様性構築の新たな視点
>> 近年、企業価値の向上と持続的な成長のために、取締役会の多様性確保がますます重要視されている。この多様性を議論する上で、「スキル」(Skill)に加えて「コンピテンシー」(Competency)に注目し、その重視へとシフトする考え方が広まっている。これは、単に特定の知識や経験といった「スキル」の有無を見るだけでなく、変化に対応し成果を生み出すための総合的な能力や行動特性である「コンピテンシー」こそが、現代の複雑な経営課題に対処し、取締役会の実効性を高める上で不可欠であるという認識に基づいている。
1.スキルとコンピテンシーの違い
まず、「スキル」と「コンピテンシー」の基本的な違いを整理する。スキルは、財務、IT、特定の業界に関する専門知識や語学力など、訓練や経験によって習得される具体的な技能や知識を指す。一方、コンピテンシーは、リーダーシップ、問題解決能力、コミュニケーション能力、戦略的思考力、変化への適応力、倫理観など、高いパフォーマンスを発揮する個人に共通して見られる行動特性や能力を指す。スキルが「何を知っているか、何ができるか」であるのに対し、コンピテンシーは「持っている知識やスキルをどのように活用し、成果につなげるか」という側面に焦点を当てている。
2.なぜスキルよりコンピテンシーが重要視されるのか
取締役会の多様性を議論する際に、スキルリストの充足だけでは不十分であり、コンピテンシーを重視するべきとされる理由は複数ある。
1)未知の課題への対応力:現代のビジネス環境は変化が激しく、予期せぬ事態が多く発生する。過去の経験に基づく特定のスキルは重要であるが、それだけでは未知の課題に効果的に対処できない。コンピテンシー、特に問題解決能力や変化への適応力は、新たな状況を分析し、柔軟な発想で解決策を見出すために不可欠である。
2)本質的な議論と意思決定の質向上: 多様なバックグラウンドを持つ取締役が集まるだけでは、必ずしも建設的で質の高い議論が生まれるとは限らない。異なる意見を傾聴し、尊重しつつ、自身の考えを論理的に伝えるコミュニケーション能力や、多角的な視点から物事を捉えるコンピテンシーが備わっていることで、より深く本質的な議論が可能となり、結果として意思決定の質が向上する。
3)リスク管理と監督機能の強化:コンピテンシーには、リスクを早期に察知し評価する能力や、経営陣の業務執行を適切に監督するための批判的思考力なども含まれる。特定の分野のスキルを持つ人材だけでは見落とされがちなリスクも、多様なコンピテンシーを持つ取締役の多角的な視点によって発見しやすくなる。
4)企業文化と倫理観の醸成: 取締役のコンピテンシーには、高い倫理観や誠実さも含まれる。これらのコンピテンシーを持つ取締役がボードに存在することは、企業のガバナンス体制を強化し、健全な企業文化を醸成する上で極めて重要である。単に法令遵守のスキルがあるだけでなく、倫理的な判断を下すコンピテンシーが求められる。
5)潜在能力と成長可能性:スキルは現時点での能力を示すものであるが、コンピテンシーは個人の潜在能力や将来的な成長可能性を示唆する。環境の変化に合わせて自身をアップデートし、新たな知識やスキルを習得していくコンピテンシーを持つ人材は、企業の持続的な成長に長期にわたって貢献できる。
2.コンピテンシーを重視した多様性構築の考え方
コンピテンシーを重視して取締役会の多様性を構築する上では、以下の点が重要となる。
1)必要なコンピテンシーの特定: 自社の経営戦略や抱える課題を踏まえ、取締役会全体としてどのようなコンピテンシーが必要かを明確に定義する。将来的な事業展開やリスク環境の変化も考慮に入れる必要がある。
2)候補者のコンピテンシー評価: 取締役候補者を選定する際に、単なる経歴やスキルだけでなく、特定されたコンピテンシーをどの程度有しているかを評価する。面接や第三者評価などを通じて、その候補者の行動特性や問題解決へのアプローチなどを深く見極めることが求められる。
3)取締役会全体のバランス:個々の取締役が持つコンピテンシーの組み合わせが、取締役会全体として必要なコンピテンシーを網羅し、バランスが取れているかを確認する。特定のコンピテンシーに偏りがないように留意が必要である。
4)多様なバックグラウンドからの登用:特定の業界や職務経験者だけでなく、多様な経験や視点を持つ人々を候補者とすることで、結果として幅広いコンピテンシーを持つ人材を発掘しやすくなりる。性別、国籍、年齢、専門分野などに加え、多様なキャリアパスや価値観を持つ人材に目を向けることが重要である。
5)継続的な評価と育成: 取締役就任後も、そのコンピテンシーの発揮状況を定期的に評価し、必要に応じてスキルアップや新たなコンピテンシー開発の機会を提供することも、取締役会の実効性を維持・向上させる上で考慮されるべき点である。
◆ まとめ
取締役会の多様性構築において、スキルはもちろん重要な要素であるが、現代の複雑かつ変化の激しい経営環境においては、それに加えてコンピテンシーに注目し、重視する考え方が主流になりつつある。多様なコンピテンシーを持つ取締役が集まることで、取締役会はより多角的で深い議論を行い、迅速かつ的確な意思決定を下し、リスク管理能力を高め、企業の持続的な成長と企業価値の向上に貢献することが期待される。単なる属性や表面的なスキルの多様性にとどまらず、取締役一人ひとりが持つ本質的な能力と行動特性であるコンピテンシーを見極め、ボード全体のバランスを考慮した多様性構築を進めることが、今後の日本企業におけるコーポレートガバナンス強化の鍵となる。
若杉 敬明