経済と数学教育-新井論文を紹介しつつ-
第2回ファイナンス研究会のテーマである金利の計算はファイナンスの基本原理であり、ファイナンスの入り口である、これを理解していればファイナンスの80%は理解できる。数学的にはほぼ四則演算で完結しているので、ファイナンスは誰にとって親しみが持てる世界のはずである。しかし、実際には、大学でファイナンスを教えてきたが、敷居が高く、どうしても中には入れない学生が多い。実務の世界でもファイナンスを理解できない執行役員が多く、ファイナンスはCFO(Chief Financial Officer)の独壇場である。その結果、重要な業務意思決定に関する取締役会において、CFOの提案にチェックを掛けられる取締役が不在のため、みすみす間違った意思決定がなされ苦境に陥る企業が少なくない。
大学でファイナンスを教えてきたが、そこで使われている算数や数学は、まさに昔学校で習った算数や数学である。算数や数学を生活や経済と結びつけて学んでいたら、みんながこんなに数学嫌いにならなかったのではないかとずっと感じてきた。金利の問題がまさにその一つである。
第2回ファイナンス研究会に関連してこんなことを考えていると、たまたま新井明著「経済教育と算数・数学-算数・数学教育の歴史的検討からー」(経済教育学会誌 2017年9月号)という論文を見つけた。私の経験から共感することや教えられることが多いので、若干紹介させていただく。ただし、算数・数学の全体について触れていくと膨大な量になるので、金利計算を中心に取り上げていく。
多少長くなるが、著者の問題意識を紹介させていただく。
「経済学の学習には数学的知識が必要である。ところが,経済学を学ぶ上で数学を苦手とする経済学部学生は多い。その存在は『分数のできない大学生』以来周知の事実となっている 。また,日本学術会議の「参照基準」にも経済系大学生の数学の学力不足と大学での数学教育の必要性の指摘がされている。(岡部恒治・戸瀬信之・西村和雄編『分数のできない大学 生』東洋経済新報社,1999)
その原因は,西村和雄らが指摘するように,一つに は,学習指導要領の変化による算数・数学の学習時間の絶対的不足であるが,ほかに,「参照基準」が指摘 するように経済学が文系科目に分類されていることにより,数学と経済が別の世界の話であると生徒も教師も捉えているからとも推定できる 4)。
もう一方,日常生活でも数学的な知識と技能も必要である。しかし,日常生活でも数学を苦手とする人間は多い。経済活動と数学は切り離せないのだが,算数や数学教育のなかで数学的リテラシーが十分に育てられていないことが推定される。日常生活と数学教育に関しては,実は,戦後の算数・数学教育で生活単元型の学習のなかで「社会をよくする」ための数学が提唱されていた時期があり,それが実践されていたことがあった。また,戦前の高度な算数教育に関しては,かなり高度な経済計算が教えられていたことが,最近,大竹文雄と横山和輝によって紹介されている 5)。大竹は,高等小学校三年の算術教科書の紹介から, むかしの小学生が複利計算など高度な経済計算を学習していたという。(大竹文雄「複利を理解していない日本人」日本経済研究 センター HP『経済脳を鍛える』2015 年 8 月 17 日号。
横山も同様に,複利計算を戦前の小学生が行っていることを紹介し,それが成果を上げていたと論じて,現在の金融教育,経済教育の問題点を指摘している。(横山和輝『マーケット進化論』日本評論社,2015,)
しかし,両氏とも複利計算について言及しているが, 学校制度,算数・数学教育のなかでそれらがどんな位置をしめていたか,また,それがなぜ消えたのか,現在の状況に関する言及は残念ながら少なく,それをどう克服してゆくのかについての展望は,両氏の紹介か らは,すぐには見えてはこない。
本稿では,一つは,経済学の教育のために,どのような数学教育が求められるか,それはどのようにしたら可能になるのかという問題意識と,もう一つ,日常 生活のなかで経済と数学がどのようにしたらスムーズ に結合できるのか,その方策は何かという問題意識の もと,経済教育と算数・数学教育の関係を探り,そのあり方を考察する。」
1.江戸時代および江戸時代以前
著者は、江戸時代の初期にさかのぼり、「日本で本格的な算数・数学教育が展開されたのは江戸時代からで ある。なかでも,江戸時代初期に発行された吉田光由の『塵劫記』1627年は,日本における庶民向けの数学教育の先駆的テキストといってよいだろう」として、三巻からなる同書の内容を紹介している。
これが私にとって懐かしく感じられた。私が小学校高学年のときには鶴亀算、旅人山、植木算などの「なんとか算」(正確には特珠算と呼ぶらしい)をたくさんやらされた。以下、引用である。
「上の巻では,数,単位,面積, 体積,重さなどからはじまり,九九,掛け算と学び, 割り算はそろばんを使って計算させる。そのうえで, コメの積み上げ問題や両替問題,利息の計算,絹・木 綿の売買問題など実利的知識,計算技能を習得させる 内容になっている。
中の巻では,様々な具体的事例に基づく計算が紹介 されている。事例では,船賃,升の大きさ,検地,屋根ふき,河川工事の計算などが扱われ,当時の土木工事などの理工系的な内容に拡張している。
下の巻では,ネズミ算,倍々算,からす算,人口計算など各種の応用問題や,誕生日をあてるままこ立てのようなクイズに近い問題が取り扱われる。」
(注: 継子立ては碁石を使う遊戯で、徒然草(1330年頃)の文中に引用されているほど、古くからわが国に伝わる一種の数理ゲームです。この名称の由来は、黒石を先妻の子(継子),白石を後妻の子(実子)に見立てて、相続人一人を決定するというドラマに擬して遊んだことによります。Imujii’s page)
下の巻はまさに特珠算を扱っているわけである。 なお、「中学受験の算数教室」というウエブサイトによれば、中学入試の算数では特珠算が数多く出題されているとのことである。
「いずれも,江戸初期の経済生活に役立つものとして, 商人や武士のなかでも土木などを担当する者向けの実用的なものとなっている。ここから,寺子屋向けの庭訓物が作成され,それが普及して,日本人の数学リテラシーの向上に大きな功績を残しているといってよいだろう。」
2.明治期から昭和前期
明治維新後,西洋数学が導入され、「子供向けの算数教育では明治 5 年(1873)の学制に基づいて,文部省による『小学算術書』がだされ,民間でも『数学三千題』のような計算問題中心の演習書が発行されてひろく利用された」とのことである。
その後、1905年『尋常小学算術書』(黒表紙本)が国定教科書として刊行され、緑表紙本と呼ばれる『尋常小学算術』(1935年)が刊行されるまで30年近く日本の小学校向け数学教育に大きな影響を与え続けたいう。
「黒表紙本では,「生活上必須ナル知識」として,数の数え方から加減乗除,小数,分数計算,比,歩合までが配当されていた。特にここで注目したいのは歩合算の箇所であり,大竹,横山の紹介している計算はここの部分とその延長部分である。
歩合算は黒表紙本では,尋常 6 年生の最後に学ぶ項 目で,歩合,損益,租税,利息,公債株式などの計算 を行う学習項目である。百分率の呼び方から始まり, 様々な経済に関連する計算を行わせることになっている。一見すると生活に関係する重要な学習に見えるが, 公債や株式の知識や計算が当時の生徒の生活にどれだけ関連があったのかを考えると,かなり無理がある教材だったといえよう。」
緑表紙本は,1935 年から使用が始まったが1941 年の完成と同時に戦争のため教科の整理統合が行われたため,短期間の使用で終わり,幻の教科書ともいわれたとのことである。
「ここでは,算数教育の基本は「数理思想の開発」であるとうたわれていて,黒表紙本が計算の形式を学び, 暗記的に計算処理をせざるを得ないような展開をしていたのに対して,数理的な考え方や思考過程を重視するものとなっている。また,「日常生活を数理的に正しくする」という目標のもとに,衣食住に関係する内容を広く例として取り上げるだけでなく,自然現象や 理科的な内容も広くとりいれられ大幅に改善されている。その代りに,証券や債券など生徒の生活から遠い事例は大幅にカットされている。」
3.第二次世界大戦後の数学教育「生活算数・ 数学」
戦時下、緑表紙本の後に,青表紙本である『カズノホン』『初等科算数』が刊行される青表紙ほんと呼ばれたが、戦後それらは戦時色が強いということで墨塗り教科書となり、 学習指導要領(1947年試案)に基づくいわゆる生活算数教科書が登場した。この指導要領では,算数の目標が「日常のいろいろな現象に即して,数,量,形の概念を明らかにし,現象を考察処理する能力と科学的な生活態度を養うこと」とされ、驚くほど経済に関する事項が学習項目として取り上げられていという。
私の経験では、小学校1年生の頃、校庭に市場を開き、一部の生徒が八百屋や魚屋やパン屋や菓子屋を置き、紙で作った野菜や魚やパンを並べ、他の生徒は消費者になり紙で作ったお札で買い物をするという行事があった。しかし、なぜかそれは一度きりであった。
新井氏の論文を引用すると当時は次のような状況であったという。
「小学校の算数では,単元として「実務」が置かれ, 例えば,小学校 6 年生では貯金,貯金申込書,収支勘定,勘定書,領収書が学習項目として登場する。
新しく登場した中学校でも「生活経験」が列挙され, そのなかの数学的な技能を身につけるという構造のカ リキュラムが提示されている。「日常生活」には自然 現象,農作業,工場経営,貯蓄や投資が登場する。少し詳細に紹介しよう。
例えば,第 7 学年(新制中学 1 年生)では,歩合算 に相当する領域として,「百分率,歩合を含む実際問 題を解く」というタイトルで,「a 利率を表す問題,b 割合に関する問題,c 手数料に関する問題,d 家計の 予算を作る問題,e 損益に関する問題,f 価格の上がり,下がりに関する問題,g 家計の勘定に関する問 題」の 7 つが学習項目として挙げられている。
例として,「家庭の買い物で,品物の 1 割引きの値段を求める」という学習課題と,「おかあさんを助けて,家の予算をたて,お金を経済的に使う」という学習課題が挙げられている。さらに,用語としては, 「利息,利率,年利,日分,元金,期間,元利合計, 単利,複利,割引,手数料,勘定書,予算,原価」が挙げられている。
メインの数学的技能では,「百分率や歩合を含む四則計算をする。一つの数の,与えられた百分率や歩合に当たる大きさを求める。」などが指示され,「複利表を用いる」まで指示されている 。」
新井氏の論文を読み、私が経験した市場にはこのような背景があったのかと納得している。そして一度きりで終わったのは、次のような事情があったからである。
「生活算数・数学は,数学教育関係者から激しい批判に合う。これは初期社会科がうけた批判と同根である。 一つは,学力低下,もう一つは教材や教え方からの批判である。学力低下に関しては,戦前の水準にくらべて二年の遅れが出たとの調査結果が国立教育研究所から発表されている。教材や教え方批判では,当時の進歩的教育学者である海後宗臣や梅根悟からの批判が加えられた。また,のちに「水道方式」を提唱する遠山啓らが組織する数学教育者協議会からも「学力低下の最大の原因は,生活単元学習である」という批判が加えられた 。」
これらの批判を受けた形で,1958 年系統学習に基づく学習指導要領が実施されて,算 数・数学教育は大きく転回をはじめる。
「この指導要領では,「数学的な考え方」という概念 が登場したが,基本的な考え方は緑表紙本で登場した 「数理思想の開発」への回帰に近かったとされている。 この指導要領で,生活単元的な経済的な問題,特に金 融関係の事例はほとんどなくなり,指導内容は,「数と計算,量と測定,数量関係,図形」の四領域にまと められた。このうち,数量関係は新しく導入されたが, 「割合,式・公式,表・グラフ」から構成されている。 これは,生活単元学習でも扱われていた領域だが,事例は自然科学的,抽象度が高い扱いになって,生活のにおいがしない算数・数学がここからはじまったといえるだろう。」
数学は生活をするための技術ではなく、純粋理論としての数学に転じたのである。私は常々、なぜ私たちは経済や生活に結びつけて算数や数学を教えられなかったのかという疑問を持ち続けていたが、これで納得が出来たような気がする。
つづく